クインテット50年の歴史 4
- meizykato
- Mar 6
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その当時五木寛之の" 青年は荒野を目指す”という小説にハマり僕の頭の中にはNYに行くシュミレーションが出来てました。お金を貯めて何とか28歳の時に行く事が出来ました。1982年。
最初は東京へ出た時よりも違いが多過ぎるし英語のハンディが壁となり大変でしたがまだ若かったので次第に友人達と気がついたら英語で話す様になってました。最初3年間位はストリートミュージシャンとしてセッションで知り合ったメンバーと毎日演奏してました。その中にビンセント・ハーリング18歳(as)フィリップ・ハーパー19歳(tp)がいました。
当時のNYはまだジャズジャイアンツ(フィリージョー、ガーランド、エドブラックウェル、フィニアス、シルバー、ローチ、ビリーヒギンズ、アルバートハンター)が沢山現役で活躍してて彼らの演奏を見れたのは宝になってます。
流石に極寒の冬の間は日本レストランでウエイターの仕事をしました。そのバイトはかなり大変でしたがランチの4時間だけ勤めれば何とか食べる事が出来たので夜はもっぱら練習、ジャズクラブやセッションに沢山行く事が出来ました。この頃ライブハウスでも自分のバンドを結成して(クインテット)活動を始めてました。アメリカ人4人を雇い小林陽一&JJMにした事もあります。あとトランペッターのハッサン・ハミッドのバンドでもレギュラー活動してました。
ある日WNBCテレビのモーニングショーのプロデューサーに呼ばれテレビ局のスタジオでthe street musisiansという名前をクレジットされハッサン・ハミッド(tp)ビンセント・ハーリング(as)等と演奏しました。そのビデオがありましたが当時のソニーベータなので見れなくなり残念です。
本来家族と1年の約束で渡米したもののあまりの楽しさに3年になってました。帰る時にポケットマネーで当時付き合いがあるミュージシャンと初レコーディングをしました。ベニーグリーン(p)ハッサン・ハミッド(tp)シー・シャープ(as)ジュニア・クック(ts)ロニー・プラキシコ(b)エブリン・ブレイキー(vo)写真最後。
という訳で最初の3年間は終わり帰国へ。その時のテープをキングレコードの中尾ディレクターが気に入ってくれレコード(L P)にする事が決まりメジャーデビューとなりました。
1985年。続く、、、















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