クインテット50年の歴史6
- meizykato
- Mar 6
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再度の渡米へ、
1989年日本がバブル真っ盛りの頃アメリカも凄く景気が良くまるで街がディズニーランドみたいに輝かしくお祭りの様に盛り上がっていました。2度目のNY生活はストリートはほぼやらなくなり日本の会社でツアーガイドのバイトをたまにやるくらいであとはギグもだいぶ増えてきて、アルトのマークグロスのバンドで毎週ホテルギグをしたり、ギルコギンズのトリオでクイーンズジャマイカにあるビレッジドアーで毎週深夜にギグをしてました。その深夜のギグが3:30am頃終わり車で家に帰り寝ないでスーツに着替えて早朝ホテルに日本人観光客の方を空港まで送って行く、みたいな事をしばらくやりました。
後半には当時一緒にやってたミュージシャンの紹介もありライオネル・ハンプトンのビックバンドのオーディションを受けたら受かってしまい2回位ハンプトンさんと仕事しました。しかし彼のビッグバンドはほとんどがロックの様に叩かないと行けないシャッフルばかりでもうこれは無理だと思うと同時にビークーになりました。(解雇)
その様子が後にスイングジャーナルの漫画で描写されています。
1990年頃キングレコードの中尾ディレクターにNYの若いミャージシャンを集めてアルバムを作りましょうと持ちかけられレコーディング。最初はロイハーグローブに交渉しました。この頃ロイとはたまにセッション、ギグもやり、一度だけですが彼にハーレムにあるPeaksというクラブのギグのオファーをもらいやりました。そのカセットテープもあります。その時の面白い話があります。NYのギグ事情はとても厳しく一人黒人のドラマーが僕の後に来て、おれ頼まれたよね!って!僕は実はその貴重なギグの為に車が故障してたので地下鉄でドラムセットを大変な思いをして運んできたので、僕も、hey men〜プラプラプラス〜と必死にそのドラマーに言ったらロイが僕をかばい、そのドラマーに今日は帰ってくれ‼️
と言ってくれギグが最後まで行われました。最高に楽しかった覚えがあります。
結局レコーディングの為に一旦デモ用のレコーディングをしロイに参加してもらえましたが最後の所でレコード会社のストップが入りCDにする事は叶いませんでした。しかしその時レコーディングしたデモテープは今だに持っててこれが最高なんです。是非これはいつかCDにしたいとロイの奥様に現在交渉中です。
結局フィリップハーパーtp.ビンセントハーリングas.スティーブンスコットpf.エシエット・エシエットb.で録音されたのが
GOOD FELLASです。これはスイングジャーナルのゴールドディスクを獲得しました。
92年いよいよ帰国前に中尾さんは、GOOD FELLASが当たった為かお帰りになる前にもう一枚作りましょう、という事になりGOOD FELLAS2をバンゲルバースタジオで録る事になりました。
そして1992年6月に通産6年のアメリカ生活にピリオドを打ち帰国しました。
続く、、、




















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