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クインテット50年の歴史 3

  • meizykato
  • Mar 6
  • 2 min read

しかしその頃はジャズの演奏ではとても食べれないので主にキャバレー全盛時代の世界で演奏活動しながらトラを入れてライブをやると言った具合でした。最初のクインテットのメンバーとして筒井政明tp.小池修ts等がいました。

その頃の最初のバンド名は小林陽一筒井政明クインテットという双頭コンボ。一時はモンキー小林と惑星軍団にした時もあります。僕が秋田と言う事もありキャバレーを移るタイミングで東北ツアーをブッキングし始めました。

 キャバレーの方は劣悪のバンド環境での経験をするもその後はよく無いバンドは直ぐに辞めても他にいくらでも箱の仕事はありました。渡り歩いてようやくまともなキャバレー、渋谷のムーランルージュではとても楽しかった思いがあります。僕は9ピースのバンドにオーディションに受かり約2年弱やってたかと思います。毎日日替わりでディックミネ、八代亜紀、ツービート(タケシ)吉幾三、大月みやこさん等のショウーをやった記憶があります。そのバンドは9ピースごとトラを入れてナベプロのタレント歌手、アグネスチャンの専属バンドとして各地方のコンサートにも行きました。この頃は月2回休みがあるがその日はジャズのライブを入れるのでほぼ休み無しで下手すると昼もしてたので月35〜6回仕事してました。土日の昼に読売ランドのぬいぐるみバンドをやった事もあります。

最高に多い仕事してた頃は夜のキャバレーと、深夜12:30〜5:00のホストクラブバンド、これは2ポイントと言ってダブルの給料をもらえるのでかなりお金は貯めれました。この頃金利が高い為に郵便局の定期預金が10年で倍になると言う時代でした。

 でも自分ではどうしても本格的なジャズだけやりたくて上京してから10年後1982年にいよいよニューヨークに修業に行きます。28歳でした。続く、、、

高二でロックドラムにハマってた頃!叩きながら唄も唄ってました
高二でロックドラムにハマってた頃!叩きながら唄も唄ってました

 
 
 

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