クインテット50年の歴史 2
- meizykato
- Mar 6
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1972年上京した時は東京の空気が汚れてる事と都内の人が多すぎて毎日ここはお祭りしてるのか?と驚きました。特に秋田は夜空に舞う星が凄く綺麗だったのを愛おしく思いました。ただ冬に関しては雪国の人間にとっては関東は毎日が春にしか思えずこれは利点だなと思う事も。
苦学生を余儀なくされたがそれは当たり前の時代、昼サラリーマンしながら夜学で1年間大久保にあった日本ジャズ学校(ティーブ釜萢)へ。
この時のドラムの八木宏先生がレッスン後に新宿のジャズ喫茶に連れて行ってくれジャズをよく聴かされました。(それまでハードロック大好きだったけど)
それがジャズの魅力を次第に理解し始めた頃です。
2年目から尚美音楽院へ3年間通い(ピアノ必修の為基本科1年➕本科2年) 既に在学中に初ライブとしてピットインの朝の部に出演した。(この当時のピットインは90%コルトレーン系のバンドでしたね!僕もエルビンを真似してました)
尚美卒業後に(サラリーマンも4.5年勤めて終わりました)プロミュージシャンとして活動に入ります。1976年でした。(50年前)
しかし宮原にあったキャバレーの初仕事が1ヶ月でいきなりバンドごと首になり途方にくれ初のアルバイトを探す。それが国分寺にあったアレキサンダーというジャズクラブの厨房。毎日ジャズをキッチン越しで聴く事が出来勉強になりました。一ヶ月後に再度キャバレーの仕事が見つかり元へ戻るがアレキサンダーの浅野マスターが親切で今度うちでやってみなさい!と言う事でライブを始める事が出来たのです。その浅野マスターに名前を変えなさい!と言われモンキー小林と付けられました。でも流石に猿は?と思いMonky (僧侶)小林とさせてもらいました。
続く、、、




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